「何で?」と「じゃあ、どうしよっか?」

僕の上長は、何事においても細かい。

 

何か議論をする時も細部まで疑問を投げかけてくるし、文書を書く時も「主語」やら「てにをは」の小さな部分まで突っ込んでくる。

 

正直、面倒くさい。

でも、あんなにポンポンと疑問が浮かぶのはす見事だし、突っ込みどころも的確だから本当にすごいなと日々感心する。(上目線だけどもw)

 

そんなことを思っている中で、池田晶子の『14歳の君へ-どう考えどう生きるか-』を読んだ。

 

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この本は、四章から構成されているエッセイだ。

 

 一見、コムズカシイようだけれども、友達とか戦争とかお金とか分かりやすいテーマで、社会や世界や人生に対する疑問や違和感を分かりやすく問いかけてくる。

 

そして、答えを直接教えるのではなく、こんな風に見てみると幸せになれる道が開けるかもよ?っていう考え方のヒントを与えてくれる。 

 

例えば... 

「将来の夢」と「人生の目標」は違う。何が違うのか? 

 

前者は、なりたい職業とか思い描いている生活で、後者は全人類に共通しているものらしい。

 

なぜ、わざわざ将来の夢を考えるのか、、

それは「こうなったら素敵だな」「こうなったら楽しいだろうな」とか幸福を求めるからだ。

つまり、人生の目標は幸福になるということ。

 

では幸福であるという定義は何なんだろうか?心が幸福である状態を指す。

 

心が幸福である状態って何だっけ?

自分を認めて、他人を妬まず、何かを誰のせいにもしない状態。

...そんなん無理って感じだけど、自己欺瞞に陥ると、自分の心を不幸にするのは当然だよね。

 

じゃあ、心を幸福にし続けるためにはどういう見方をすればいいのかな?

それは、気の持ちよう次第でしかない。

 

じゃあ、どういう気の持ち方をすれば心は幸福でいられるのかな?

 

例えば、周囲に嫌われたくないから本当の自分を見せられない状態にある若者に対して、著者はこういう捉え方をしてみれば?と言っている。

 

「別にいいじゃないか。人に好かれようとするよりも、人を好きになるようにしよう。こう気持ちを切り換えてごらん。自分に自信がない君も、それだけで何だか自信がわいてくるんじゃないかな。だって、人に好かれることは、自分じゃどうもできないことだけど、人を好きになることなら、自分でできることだからね。

そういうふうに、好かれようとせずに好きになろうとする。そういう君は、人目を気にせずに自然にふるまっているはずだから、結局、人に好かれることになるだろう。そういう人、その人がその人らしいのが、人には一番魅力的に見えるものなんだ。」

 

だけど、どうしても嫌いになるものもある。そういうことにはどうしよっか?

 

「嫌いなものを無理に好きになろうとするのは、好き嫌いにこだわるまいとして、逆に好き嫌いにこだわっているんだ。でも、好き嫌いは好き嫌いとして、どうしても存在する。それなら、それはそれとして認めてこだわらないこと、これが「愛」というものなんだ。」と言っている。

 

著者は色々なテーマに対して、「何で」を突き詰めて、その上でどう捉えることが自分が幸福になれるのかを突き詰めている。

 

つまり、自分を幸福にするためには、何でも問いかけることから始まり、考え続けることでしか解決されないんだなと実感。

 

その場から逃げることもできるけど、自分からは逃げられないもんね。。

 

そんでもって、問いかけるっていうのは、課題が降りかかってきた時に考えるのではなくて、日頃から問いかける姿勢がないとダメで、より深く考えたり、問いかけるには知識も必要なんだよね。

だから、勉強もしなくちゃいけないと改めて反省。笑

 

僕の上長は日頃から「考え続けている」から、沢山の疑問も出てくるし、色々な指摘もできるんだなと思った。

 

中々真似できないけど、そうなれるように日々進歩していこう。